鷲田清一さんの文章を初めて読んだのは高校二年生の夏だったことを覚えている。

現代文の教科書に載っていたのだったか、当時色々と手を出していたなんらかの教材だったかで「アイデンティティー」について述べているものだった。

当時現代文の成績が伸び悩み、いろんな小手先テクニック(“だから”に○つけるやら“しかし”に∇つけるやら、今振り返ってみるとなにやってたんだか…)に執心してしまっていた時期だった。

そんな時期に鷲田清一さんの文章に出会った。「アイデンティティー」というムズカシめのコトバはその時初めて知ったが、これについてスッと染み渡るように理解できたとき、何てわかりやすい文章なんだろう、と感激した記憶がある。文章構造だとかわかりやすい例示だとか、とにかく「こんなにわかりやすい文章があるのか」と思った。テクニックばかりに気をとられて、それまで文章を読めていなかったことに気づかされた大きな転機だった。

それからというものの結構難解な文章でも簡単に理解できるようになり、本を読むのが楽しくなった。

そんな大きな転換をもたらしてくれた名前を思い出すきっかけになったのは朝日新聞の「折々の言葉」だった。

鷲田清一さんが選んだ折々のことば、論破禁止。

論破禁止(高橋源一郎)

 

明治学院大学・高橋ゼミの方針は何かと問われ、作家はこう答えた。

「誰かを論破しようとしている時の人間の顔つきは、自分の正しさに酔ってるみたいで、すごく卑しい感じがするから」と。

対話は、それをつうじて各人が自分を超えることを希(ねが)ってなされる。相手へのリスペクト(敬意)と自己へのサスペクト(疑念)がなければ成り立たない。

学生時代から論破する人が苦手だった。あの嫌な強い感じ。社会人になってもやっぱりいる…。大阪は特に多い感じがするなぁ…。

ふとしたことで鷲田清一さんのことを思いだし、そのきっかけになった折々の言葉にも強い共感を覚えたという話。

おしまい

カテゴリー: PERSON

たかくら3

たかくら三兄弟の三男坊。