こんにちわ。

たかくらと申します。

ブログを始めました。

よろしくお願いします。

先日、某有名予備校現代文講師と知り合い、酒の場を共にしました。

小難しい話題は得意ではないんですが色々話して、楽しかったです。

人生や仕事。

今、自分が抱えている悩み事の話になったとき、センセイが、一言。

「結構、幸せに生きていくためには芸術とか哲学とか、大切なんだよ」

この言葉がなんとなく、響きました。

影響を受けやすい自分は、色々と美術館に足を運んだり、本を読んだりしました。

マルクスの『資本論』、トインビーの『歴史の研究』、カントの『純粋理性批判』、ヘーゲルの『精神の現象学』。

どれもこれも難しくて意味わからない。そんなこともありつつ、なんとか読みきりました。

そんな流れで読んだ読んだ次の一冊が人生を決定づけました。

ハイデガーの『存在と時間』。

20世紀最大の哲学者、ハイデガーの『存在と時間』。この本の内容は多岐に渡り、簡単に説明することは困難を極めますが、頑張って要約してみますと、人間は“世界内存在”といって、それぞれ自分だけの世界を持ちながらその世界に自分自身が意味を与えつつ死んでいく、というようなことがまとめられています。

人は、この世に生まれてきたときから死に向かっています。したがって自分の人生は限られた時間の内側に区切られていて、誰もその限界を超越することはできなません。しかもその限界点がどのくらい残っているのか、すなわち、どのくらい生きられるのかは、誰も知ることができません。

明日死ぬかもしれません。

はたまた死は、何十年も先に訪れるのかもしれなません。いずれにしても自分は死にます。逃れられない命の、人間の、悲しき宿命。もし明日自分が死ぬとしたらいまの自分はこのままの日常に埋没したままでいいのだろうか。

時間は、有限。

ハイデガーは自分の時間が有限であることを理解したとき、人は自分の時間の有限性を知るべきで、それをその人自身にとって有効に使うべき、と考えました。この時間の有限性に気づいた人は、時間や、自身を取り巻く世界が全く違った大切なものに見えてくる。これが“世界内存在”の姿である。

人は死の淵に立ったときには、全く別な世界が見えてくる。それこそがその人が生きるべき世界だ、というハイデガーの考え方に深い共感を覚えました。


安定した環境のなかに得られる生の実感は乏しい。というか、ほぼ、ない。自分の人生を生きているのか自信が持てなくなる。

孔子は「三十にして而立」と言った。あと2年で30歳になる。人生における大きな方向転換のタイミングを逸すると、絶対に、後悔が生まれると思う。

幸いなことに人は「記録」と「研究」という行動を覚えた。“人が死ぬときに後悔すること”をまとめた「記録」と「研究」については価値のあるもので、国語算数理科社会と同等に教育されるべきかと思う。これを知らないともったいない。

この研究によると、「挑戦しなかったこと」が最大の後悔を生むという。人は、なにかにつけて言い訳する。金がない。金がもったいない。時間がない。時間がもったいない。英語話せない。安定捨てたくない。

もう、言い訳はやめて行動しよう。

死後に持っていけない金や時間を保護するのではなく。

今生きている時間を、「生の実感」で満たそう。

これがあらゆる行動の基準になると思う。

このブログは、ある一人のアラサーサラリーマンが退職してニュージーランドのロングトレイルを歩き出す記録に始まり、人生を「生の実感」で満たすための優れた音楽、本、芸術、食の記録です。

よろしくお願いします。

 

 


たかくら3

たかくら三兄弟の三男坊。

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